夜の家事をストレスなく片付ける工夫いくつか

夜遅くに帰ってから一人でやらなくてはならない家事って面倒で、ついダラダラ、イライラしてしまったりしますよね。そこで、そういったストレスを減らすために私がやっている工夫をいくつか紹介してみます。
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親になっての1年をふりかえってみる

昨日で娘が1歳になりました。ということは自分も親になって1年が経ったわけです。そこで、この1年で変わったこと、変わらなかったことなどをふりかえってみたいと思います。
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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

長女の誕生というビックイベントがあった2009年は、多少戸惑いながらの年となりました。といってもお金がかかるとか時間がとられるといったネガティブな感情に支配されることもなく、むしろ妻や両親などとの関係を再確認する良い機会を得られたと思っています。今後はよりクオリティオブライフに意識が向けられそう、といったところでしょうか。

今年はそういった家族との時間を確保しつつ、自分自身のライフワーク(のようなもの)と仕事も膨らませていけるような年にしたいと思っています。

3人暮らしが始まりました

19日に妻と娘が帰ってきて、3人暮らしが始まりました。(退院後、妻の実家でお世話になっていました)育児の先輩である妻に教えを乞いながら、一緒に育てていきたいと思っています。

なんですが、苦手な料理をしなくてはいけなかったり妻が求めていることをなかなか理解してあげられず、支えになっているとは言えないのが現状です…。まぁ焦ったり卑屈になっても仕方がないので、とにかく真摯な態度で臨みたいと思います。

人間と自然のルール

先日セミを見ていて、「セミは何年も地中で過ごして、たった二週間だけ地上で生活するっていうルールの中で生きているんだなぁ」なんて思いました。と同時に「人間にはそんなルールないなぁ」なんて一瞬思ったのですが、これは間違いですね。

人間だって自然のルールに組み込まれた存在で、病気だってするし寿命だってあるわけです。だけど普段はそんなことすっかり忘れている。経済とか政治とか、自分たちで作り上げたルールにどっぷり浸ってしまっていますからね。

まぁ、普段忘れているのはいいんですけどね。人間という存在も自然というルールの中で生きていることは、知っておいたほうがいいかなと。いざ、そのルールの中で生きていることを突きつけられたとき「そんなの聞いてない!」だけで済ませたくないですからね。

産まれました

昨日(8/25)の朝6時頃、無事に第1子(女の子)が産まれました。

まず何より、40週もの間大切にお腹の子を育み、大変なお産を乗り越えてくれた妻に感謝しています。そして私たち二人の両親、兄弟、友人や、職場の方々など、私たちを理解し、多くの手を差しのべてくださった皆さんに感謝しています。最後に、精一杯の力で産まれてきてくれた我が子に感謝しています。

お産にあたっては陣痛室までの付き添いとしました。予想はできていたことですが、女性でなく、当人でもない自分がしてあげられることはあまりに小さく、妻とか母親とか、もう頭があがりそうにありません。

じゃあ自分は家族に何をしてあげられるだろう、なんて考えるわけですが、まずはできるところから。一緒にいる時間をきちんと持って、お互い向き合っていきたいと思っています。

政治に何を求めるか

選挙、始まりましたね。
不況だからか分かりませんが、マスコミを通じて聞こえてくる政策論争のほとんどが、「サービス」的側面ばかりのような気がします。

社会保障や景気のテコ入れも結構なんですが、政治の役割ってそればかりじゃないはず。なんというかこう、何かにチャレンジする人を応援してくれたり、セーフティネットを整備してくれたり、長期的な発展を支えるシステム作りのことを考えてほしいと思うのですが。

そもそも多数決や群れが苦手な質なので、「数の勝負にしかならなそう」な現在の政治に対して、どうにも違和感が拭えません。私としては、国民のことを想ってくれていそうな政党ではなく、適度に放っておいてくれる個人を支持したいと思っています。

今日は結婚記念日

今日は三度目の結婚記念日です。妻だけでなく、結婚を機にお付き合いするようになった方々にも感謝しています。
これまでは二人で過ごしてきたわけですが、来月からは子供と一緒、三人での生活となりそうです。これからも、味わい深い日々になりますように。

マイペースなのは父ゆずり

よくマイペースだと言われます。マイペースというか、何かに没頭すると他人そっちのけにするというか。これ、父親ゆずりだなぁと思っています。

子供のころ山に連れていってもらったりしたのですが、父は子供の私を楽しませようとするより、自分で何か面白そうなもの(虫とか花とか)をみつけ、気が済むまで観察しだすのです。もちろん悪気はないんです。つい夢中になるんですね。

そんな時自分がどう感じていたかは記憶があやふやですが、ほっておかれてつまらなかったので、自分も何か面白いものはないか探していたような気がします。

大人になってから思ったのですが、これは「何かの面白さ(価値)を他人に伝えるには、まず自分がとことん楽しむこと」というメッセージだったのではないかと。その後父と外で呑んだときに聞いてみたら、「そのとおりなんだよ」みたいなこと言ってました。(二人とも酔っていたので記憶があいまいですが。)

そんな経緯もあってか、他人を楽しませるようなことはとても苦手です。なんでしょう。他人に対する想像力に欠けるんですかね。相談にのってあげるようなことは得意なつもりなんですが。

子供は自然

子供は自然。たしか養老孟司さんの言葉だったと思います。現代の日本社会は極めて都市化(合理化)されているけど、子供というのはいつの時代も自然(野生?)な状態で産まれてくる。そんな自然な存在を、大人は合理的なものに当てはめようとしすぎるからうまくいかないのだと。

あと2ヶ月ほどで父親となる予定なんですが、わりとのんびりというか、そんな自然な存在と戯れさせてもらおうと思っています。
もちろん子育てってそんな生易しいものではないかもしれませんし、お金のこととか考えなきゃいけないこともあるとは思います。でもそういった大人の視点ではなく、子供に身をゆだねる気持ちも持っていたらいいんじゃないかと。

まぁ、どうなるかは産まれてからのお楽しみですね。